zyunbi12241

今日からかなりマイペースな感じで、

おせちの準備に入っていますよ~

午前中は頭が痛くてゴロゴロしてたんだよねw

録画しておいた大谷スペシャルを見ながら♪
(グランメゾン東京と被ってたので、大谷スペシャルは録画して後からじっくり観たの)

大谷翔平こそ私の元気の源なので、

これを観ればエネルギーチャージ完了というわけ(笑)

真美子夫人のうれしいニュースも飛び込んできて、

年末のこんな時期まで大谷ファミリーは私を幸せな気分にしてくれるのかと。

楽しみだね~~

なわけで、のんびりスタートした感じのおせち作りだけど、

今日は煮物とお雑煮の準備がメインかな。

合間に金柑の蜂蜜煮は作りました。栗きんとんまで行きたかったけど、

今これを書いている時点では行けてないw

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黒豆はさっき煮始めたばっかりだしw

黒豆の動画はここをどうぞ↓


若い頃とは全然おせちへの向き合い方が違うんだよね。

全然追われてないw

50過ぎると、まぁいいかと思うからかしらねぇ(笑)

ま、明日もボチボチな感じでいこうかなと思っています。



*****


さて今日は娘(20代)の話を少し。


娘はコロナの真っ只中で学生時代を過ごし、

サークルも飲み会も合宿も濃密なゼミも合コンもw経験できないまま、

ほぼリモートの状態で学校を卒業。

なんとも特殊な世代でございますよ。

そしてコロナ真っ只中で

就職をどうするか

という選択をしなくちゃいけなかった世代でもあるんだよね。

娘としてもいろいろ悩んだんだとは思う。

娘は子どもの頃から、自分の決めた道しか行かないのを知っているので、

就職に関しても、親としてああしたら、こうしたら、ということはまったく言わなかったのね。

もちろん何か聞かれたら答えるけれど、指示はしないしもちろん決定などしない。

決めるのはいつでもすべて娘というスタンスね。

そしたらある日、

「私、JUNAさんと仕事をしたい!」

「実はJUNAさんとやってみたいことがある!!」

と言われ、

私はこの世界がとても複雑なことを知っていたので、

はじめはやんわりお断りw

そもそも娘は高校を卒業するまでは、まったく私の仕事なんぞには興味がなかった人。

本を出そうが、撮影をしていようが、テレビに出ようが、

家にタレントさんが来ようが、

JUNAという仕事、いや存在すらにまったく我関せずだったのです。

周りに「お母さんテレビ出てたよ」って言われて

へぇそうなんだ~っていうぐらいだから(笑)

私のブログも一度も読んだことなかったし。

いっちばんの根底としては、

料理にまったく関心がないっていうねw

びっくりするぐらい無関心だったよ(笑)

それがたぶんコロナで家にこもらなければいけなかった期間に、

思春期を乗り越えて周りのことが見えるようになった娘が、

家に何やら必死で仕事をしている

JUNAって人がいるなぁとふと気が付いたんでしょう(笑)

いつもあの人なんか料理したり書いたり撮ったりしてるぞ?と。

それって何なの??と。

はじめて意識が向いたんだと思う(笑)

そしてその頃の私は、

卵巣摘出手術を終えて更年期の症状がかなりひどいときでもありました。

仕事はセーブしはじめな感じだったかな~。

一番きつかった著作の仕事をとりあえずやめた頃だったと思う。

体も心もいっぱいいっぱいで、でも仕事もある程度はしなくちゃいけなくて、みたいな時。

更年期症状もマックスだったので、当時安定剤が欠かせなかった状態でもあったかな。

今でもよく、

「あのときは一人にしておくことはちょっとできなかったよね」

と娘に言われるくらい危うい感じで、毎日綱渡り状態だった頃です。

そういう私の状況なんかもいろいろ娘なりに考え、

JUNA夫さんにも密かに相談しながら、

私と仕事をしてみたいという選択に至ったのかなと。

娘は当時、就職を担当してくれていた先生に、

「自営業手伝います!
私、母とやってみたい事業があるので!」


と勝手に宣言w
(私がOKを出す前に先に手を打ってきたw)

そして先生には

「新卒って肩書き、人生に一度きりなのに捨てていいの?

自営業ならいつでも一緒にできるじゃない。

まずは企業に入ってみたら?」

と何度か説得されるも

「もう決めたので」

とバッサリw

さすがやね(笑)

っていうか、

娘、一度決めたらとことん納得するまでやる人だったよ。

私も受け入れないとだよねw

ってことになり、
(そのときは自分の体のことで頭が一杯で、そこに娘の優しさがあったことにまで気が回らなかった)

その娘の決意が、

今のオンラインレッスンにつながっていくのです。

娘のやりたいこと=オンレインレッスン

だったんだよね。

当時コロナだったので、オンラインの事業がどこでも急激に発展していた頃。

娘の学校のカリキュラムにもITや動画の勉強が組み込まれていたので、

Z世代の娘にはこれだ!という感じでヒットしたんだと思います。

目の前におもしろい人材がいたわけだし(笑)

何より娘的には、私がそれまで大事に育ててきたJUNAという存在を、

そばでフォローしながら守りたかったと考えていたらしいのです。

そのまま一人でやっていくと潰れちゃうんじゃないかなと思ったみたいで。

当時の私はそこまでの考えが娘にあることは知らずだったけど・・・。

最終的にはJUNA夫さんの後押しもあって

私は娘の申し出を受け入ることにしたんだよね。

オンラインレッスンをはじめるまでの道のりはとんでもなくいろいろありましたけど、

娘と二人三脚ではじめたレッスンも、

今年の春には3周年=4年目に突入するまでになりました!

もちろん続ける大変さっていうのは、親子で日々痛感しているけど、

とりあえず私たちがんばってきたねぇ~

と親子で喜んだ3周年目。

で、少し経った頃かなぁ~

娘が突然、

「私、面接受けてきたから」

と言い出すw

え??何それ???と超困惑。

マミーもけっこう元気になってきたしと。

まぁ、娘はいつでも突如シリーズなので、らしいっていえばらしいんだけどね。

そしてその準備として親知らずを全抜きし<ここ
(これも急だったのよ。仕事中に痛くなったら困るからだってw)

それが終わったらすぐ、

新しい世界でガンガン働き出すっていう段取りを

もう自分で作っていたわけです。

そしてなんと、

新しい世界=料理関係の現場

なの!!

はじめ私はその情報量にまったくついていけなかったんだけど、

娘と後からいろいろ話すと

「オンラインレッスンを運営していく上で、

私、これは修行に出ないとって思ったんだよ。」

と。

超料理オタクなJUNAと、

レッスンを受けてくださる料理に一生懸命な主婦の方々に囲まれて、

「私、初心者すぎるな・・・」

と痛感したらしい。

で、このままの自分だと、

レッスンを受けてくださる方々にも失礼になってしまうし、

もっとJUNAさんの力になりたい!

と思ったと。

なので、もう半年くらいになるかなぁ~

娘はオンラインレッスンの仕事と外の料理現場の仕事との

二刀流生活をしているのです。

あれだけ料理に興味のなかった娘が、料理関係の仕事を選ぶのにまずびっくり仰天。

娘も自分で

「オンラインレッスンを一緒にやってなかったら、
絶対進んでない道だよねw」

と言っているくらい。

でも娘自身がオンラインレッスンを私と運営することで、

いろいろな知識をみるみる吸収し、
(若いからまた吸収率がとてつもなくいい)

料理ってすごいことなんだなぁと超興味を持ったらしいんだよ。

なので、どんどん決めてどんどん行動。
(その行動力、いつもすごいなと思うわ)

あの料理に無関心だった娘が、まさかの料理のW仕事で二刀流なのです!!

昔から親や先生の敷いたレールなんて絶対歩かない、

超娘らしい行動だけど・・・

人生でこんなことってあるんだなと、親の私が一番びっくりしてるところw


で、その料理現場ってのが相当な体力仕事で・・・。


まずめっちゃ早朝に家を出て行きます。

まだ暗い中出かけていくの。

そしてクタクタで帰ってくる。

長いと8時間立ちっぱ!

でも「ただいま~」っていう声がいつも充実しているのよ。

そして合間に、JUNAの仕事も手伝います。

前はJUNAの仕事を全面的に手伝っていましたが、

今はオンラインレッスンの仕事だけをメインにして手伝ってくれています。

そして、どうしてもかなえたい目標ができたみたい。

それを叶えて、JUNA Online KitchenやJUNAの仕事に還元したいんだって。

あくまで娘の中で主体は、JUNA Online Kitchen だそうな。

実際は慣れない料理現場の仕事にほぼ時間をとられちゃってるけども、

いつもJUNA Online Kitchenのことが頭の片隅にあるそうです。

現場では、

オンラインレッスンで習ったことや、私といろいろ仕事で話してきた料理の話が

超~~~役に立つんだって。

ちゃんと諸先輩方の現場の話にもついて行けてるようです。

すごいねぇ~若いってほんとすごいよ。


私は、急に娘が家にいない時間が増え・・・

これまでどれだけ家のことやJUNAのことを
支えてもらっていたのかを痛感。


仕事はもちろん、家事も相当やってくれていたんだなって思ってるところです。

JUNA夫さんの仕事が一番忙しい年代と

私の卵巣&更年期関係の不調の年代が見事に重なってしまい、

JUNA夫さんができなかった私のあらゆるフォローを

娘が率先して全面的にしてくれていたんだなとも。

やっぱり精神面をかなり支えてもらっていたんだなと今痛感しています。

あの頃、一人でいられらなかった私の心を、

共通のやりがいに向かって進むことで、

JUNAという存在が壊れてしまわないよう、

一生懸命支えてきてくれてたんだなぁと。

娘が一緒に必死で守ってくれたJUNAという存在を、

私はこれからもちゃんと大事にしていかなくちゃいけないなと

今つくづく思っています。

もしかしたらあの時つぶれてなくなってしまったかもしれないから。

なんかもう一生分の親孝行をしてもらったんじゃないかなと。


娘が自分の仕事に忙しくなってから、

私、毎日急にやることが多くなってヒーヒー言ってますよ(笑)

でも私も今はだいぶ元気になってきたので(まだ波はあるんだけど)、

一人でも家のこと、仕事のこと、それなりにこなせるようになってきてはいるのね。

娘いわく、新しい推し(=大谷翔平)も見つかったから安心だと(笑)


なので我が家は、今年後半半年、

環境ががらりと変わった一年になりました。

その環境の変化に私はまだまだ慣れる途中だけどね。

娘もまだまだ必死。

とにかく、今はただただ娘を応援したい気持ちでいっぱいです。

私のいつか料理教室をしたい!という夢を、

娘のアイデアによって叶えることができたので、

今度は娘が見つけた目標を叶えられるように
私がサポートしていく番かなと。



私の子育てって、いつも「待つ」ことが一番のテーマだったんだけど、

それを一貫してずっとやってきてよかったなぁと思っているところ。

世間の常識や学校や親の言うとおりに歩まなくたって全然いいわけですよ。

静かに見守りながら辛抱強く待ってたら、

子どもは何かを自分で絶対に見つけてくるもんです。

新卒の肩書きなんて、正直どうでもいいw
(ただし、我が娘の場合に限る)

その間に我が子は遠回りもするでしょう。

壁にもぶち当たることもある。

でもちょっと後ろでそれを見てたらいいんです。

いざとなったら手を差し伸べられるところで。

ちゃんと我が子は自分の力でどんどん成長していってくれるから。


こうじゃなくちゃいけないなんていう人生は一つもないと、

私は娘にいつも伝えています。

そしていつからだってどんなこころからだって、自分さえその気になればはじめられるよとも。

そうやって娘が自分で見つけた人生を歩くことで

幸せになってくれればそれが親にとっても一番うれしいこと。

子育ては終わったなんて時々言ってみるけど、実際はね、終わりはあるようでなし(笑)

逆に我が子に教えられることもまだまだたくさんありますなぁ~

とにかく体だけは壊さないよう、

親としてサポートできることは来年も頑張ってしていきたい!

そう思っている年の瀬でした。

ちなみに娘は年末年始、元旦しか休みがないよ。すごっ。



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