be-a.jpg



このぬいぐるみは、娘が赤ちゃんのころ我が家にやってきて以来、
ずっと娘のそばにいるわ。

今まで他にいろんなぬいぐるみがたくさんあったけれど、
結局娘が大事に大事にしたのは、このぬぐるみだけ。

赤ちゃんの頃は、耳をしゃぶったり、手をしゃぶったり(笑)
わたしは汚れるこのぬいぐるみを何度も拭いて洗って・・・。

どうせ大きくなったら見向きもしなくなるだろうと思ったものの、
大きくなっていくごとに尚更、一緒にいる頻度が多くなったこのぬいぐるみ。

遊ぶ時はもちろん、本を読む時も、ごはんを食べる時も
寝る時も・・・かならず一緒にいるのが当たり前になった、このぬいぐるみ。

8歳になった今でもよ^^

赤ちゃんの時みたいに、あからさまに遊んだりはしないけど、
今でもさりげなく自分のそばに置いておくの(笑)
おばあちゃんの家に泊まりに行くときは、必ず一緒だしね。




この間、ふと娘が

「ママ、今月ってママが手術した月だよね。」

と、このくまのぬいぐるみを抱えながら言ったわ。


・・・・
そういえばそうだった。

7年前の8月中旬に私は手術をしたんだった。

手術をして2、,3年後は、この手術した日を「生まれ変わった記念日」として
そりゃぁ大事にしたもんだったけど

・・・・・

ふと途中から、そこを意識しては生きていかれないことに気が付いたのよね。

だから私は、もう手術した時のことを意識せずに生きていこうと
今では8月になっても、何もなかったように通り過ぎることにしているのよ。


でも娘は、覚えているのね。


私が手術をしてる間、当時2歳の娘はこのぬいぐるみと一緒に、
私が手術を終えるのをひたすら待っていたらしいわ。

11時間もずっと・・・。

私が手術を終えて病室に戻ってきたとき、その姿のあまりの凄惨さに
娘と私を会わせることをやめようと決めた家族。

体がチューブだらけだった私、
呼びかけても意識のない私、
長時間のうつぶせによる手術で、顔は全くの別人だった私、
顔にはぬぐってもぬぐっても取りきれない血のりのあと・・・

たぶん娘が会っても私だってわからなかったと思う。
会ったら、ゆく先不安になるのは目に見えていたわ。
2歳の娘にその姿は受け止め切れなかったに決まってる。

でも娘は
「ママに会いたい、ママに会いたい」と
泣きながら、このぬいぐるみと一緒に泣き叫んだそう。

必死でそれを阻止する家族。

最後にはこのぬいぐるみを床になげて

「どうしてわたしだけ、ママに会えないの?」

そういって泣きつかれて眠りについたそう。

その晩も、このぬいぐるみはずっと娘のそばで眠ったわ。

その後、病後の母と会えない1ヶ月、娘はいつもこのぬいぐるみと一緒に眠り
そしてぬいぐるみは、
いつも私をを待ちわびて泣きじゃくる娘の涙を全て受け止めたの。

退院後やっと会えた娘は、やっぱりこのぬいぐるみと一緒だったわ。

その時、このぬいぐるみは私が最後に見たときより
うんと、うんと汚れてたの。

きっと娘のそばにずっといて、娘の気持ちを全部受け止めてきたんだなって
そのぬいぐるみを見たとき、あたしは胸が張り裂けそうになったのを覚えてるもの。

娘と私にとって一番辛かった時期にも
このぬいぐるみはずっとそばにいて、全てを見続けてきたのよね。

それから、娘のおもちゃは年齢とともに次々にかわっていったけれど、

これだけは、変わらず娘のそばにいるわ。
いつもこのつぶらな真っ黒目をウルウルさせてね^^

今では

私にとってもこのぬいぐるみは、特別なもの。
娘をしっかりと見守ってきてくれた大切なもの。

私と娘が歩んできた全部をずっとそばで見てきたつわものよ、この人(笑)

娘が何歳になるまでこのぬいぐるみを離さず持っているかはわからないけど、
でもきっと娘の中でも、いつまでも特別な存在であり続けるんじゃないかなって思うわ。

私以上にね。

これからも頼むわよ、あーちゃん。。。(ぬいぐるみの名前です^^)


a-d.jpg


ある日突然、家族がかけることの悲しさ

ある日突然、家庭に笑顔が消えることのせつなさ

ある日突然、日常がくずれる恐怖・・・


これを知っているからこそ、


私は、家族の笑顔をたやさないために、


これからも家族の太陽であり続けられたらなぁって思うわ。


毎日を大切に。今を大切に。

夢を持ち。前向きに。





↓ それぞれポチッと応援して頂けると嬉しいです^^




【当ブログの訪問・コメント返し・リンクについてはこちらをご覧になってね】