JUNA夫さんは、阪神大震災の時、現地にボランティアとして参加し、

しばらくの間避難所で、被災者のみなさんと共に過ごした経験があります。

その時は、帰ってきてからも、ほとんど私に現地のことを語ることはなく、

私もあえて聞くことはしませんでした。




それが昨日、当時彼が経験したいろいろな想いを、静かに話してくれました。

今日はそれをここにしたためたいと思います。




彼はそこで、メディアなどでは伝わりにくい、いろいろなことを目の当たりにしたそうです。

中でも一番自分の胸に突き刺さったのは

「子どもたちの笑顔」

だと、言っていました。




子どもたちは、

だれもが大人の負担になってはならないと、

これ以上の悲しみを増やしてはならないと、

甘えることも、わがままをいうこともやめ、

気丈に笑顔でいるのだそうです。

親をなくした子どももたくさんいたそうですが、

それでも彼らは笑顔でいたそう・・・。

子どもたちにとっては、そうすることでしか、

自分の居場所を確保できない現状がそこにはあったそうです。




被災地で必死に頑張ってくれている大人たちに

「遊んでほしい」と言ってはいけない、迷惑をかけたらいけないと悟った子どたちは、

こうやって他県からきた大人たちに、近寄ってきます。




はじめは、かなり様子をうかがうらしいです。

まず、この人は被災者であるか、そうではない人か、

助けてと言っていい相手なのか、言ってはならない相手なのか、

訴えかけるようなまなざしでじっと見つめるのだそうです。




そのまなざしは、なんとも表現できないものらしく、

でも、確実に何かを訴えかけている、決して忘れることのできないまなざしだったとJUNA夫さんは言います。




最終的にこの人は甘えてもいい相手であると子供なりに判断すると、

毎日のようにJUNA夫さんのところにやってきては、一緒に遊んでほしいと訴えかけたそう。

JUNA夫さんは、子どもたちと一生懸命遊ぶこともボランティアの一つだと信じ、

一緒になって夢中で遊んだそうです。




大人気だったのは追っかけっこ。

たくさんの子どもたちを鬼になって追いかけたそうです。

無邪気な笑顔で逃げ回る子どもたちは本当にかわいかったそう。




エネルギーのあまった男の子たちの中には、

本気でパンチをしてくる子どももいたみたいです。

でも小さな手で、必死に出してくるパンチが

妙に力強く、

そこに込めた想いを想像すると、

JUNA夫さんは、今まで経験したこともないような大きなつかえを胸に感じたそう。

でもそれを涙にかえることは、

被災者ではない人間として決してあってはならないことだと、

彼は倒される悪役になりきったそうです。




肩車をせがむ子供たちもたくさんいたそうです。

背の高いJUNA夫さんがする肩車は子どもにはとても心地よいらしく、

JUNA夫さんはできうるかぎり、自分の肩に子どもたちを順番にのせました。

また女の子は、おんぶをして欲しいとせがんでくる子たちが本当に多かったようです。

おんぶすると子どもたちはぴったりとJUNA夫さんの背中に寄り添って、

なかなか離れなかったそう。

そして自分の背中できゃっきゃと無邪気な笑い声をたてるのだそうです。

でも、その笑顔の裏にある子どもたちの本当の想い、

そして何より、彼らの命の重さと尊さを感じずにはいられなかったとJUNA夫さんは言います。



子どもたちは誰ひとり、地震の話をすることはなく、

「助けて」という言葉を言う子供も最後までいなかったそうです。



でもいつもJUNA夫さんを見上げるまなざしが

「助けてほしい」

と必死で訴えかけていたことは間違いないなかったと、彼は言います。

その子どもたちとの別れはまた、とてつもなくつらいものであったことも話してくれました。




JUNA夫さんがまだ22歳の頃の出来事でした・・・。




今、同じように被災地に多くの子どもたちがいます。

そしてこの頃は、彼らの笑顔がメディアにのって私達に届きます。

でもやはりJUNA夫さんは胸がつかえるそうです。

その時のことが頭を離れず、子どもたちが自分にぶつけてきたそれぞれの静かな想いが

よみがえってくるのだと言います。




彼らの笑顔に元気をもらう人たちはたくさんいることだとは思いますが、

その根底にある本当の気持ちというものも、私は理解しなくてはならないんだとと思いました。




子どものこういう思いは大人が手をさしのべなければ、きっとぬぐいさることができないんだと思います。




子どもたちが本当の笑顔になれる日が一日も早く来ることを、切に願っています・・・。





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阪神で、女性の元気な姿に、とても感動したことも、JUNA夫さんは話してくれました。

自らも被災者であるのに、炊きだしに励み、自分たちの仲間を励ます言葉をかけながら、

毎回食事を配っていたそうです。

もちろん、その女性たちも子どもたちと同じく、

心の奥底に抱える言いようもない思いがあったに違いないのですが、

それでも気丈に、皆にエネルギーを与えていたそうです。




被災地では、それぞれの人がそれぞれの想いを抱えながら、

ともかくも

一分一秒を必死で生きているということなのでしょう。




今回の地震で被災していない私達が、変わらない日常を過ごすことは、

これからの日本にとってはとても大事なことだとも思いますが、

やはり絶対に忘れてはいけないことがたくさんあると思います。


いろんなことを今後ずっと持続することが大切なのかなと私は思います。





日常がどれほどかけがえのないものかと考えさせられた人は、多くいることと思いますが、

私はむしろ

日常は奇跡の連続なんだと、痛感する毎日です。




日本人が生き方を少しずつ変える時なのかもしれないですね・・・・。