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この日はふつーーーの和の食卓~♪


この頃、鮭をよく食べてるかも(笑)


暑いからかしらねぇ、塩分求めてるみたいなのよ、体が。


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ゆばの澄まし汁を作ってみたわ。


ゆばは生ではなく乾燥のもの。


子どもの頃、ゆばをはじめて食べた時、「なんじゃこりゃ??」って思ったけど、


今は美味しいわ。


大人になったってことかしら(笑)


むすめにとっては、やっぱり、


「なんじゃこりゃ??」だったみたいだけど。ふふふ。



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あとは「きりぼし大根」


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それから冷奴。


みょうが、ねぎ、サニーレタスなんかを添えてます。


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デザートに甘夏の砂糖漬け。


すっぱい甘夏の実を出して、グラニュー糖をかけて、冷蔵庫にしばらく置いておいただけのもの。


これがけっこうおいしいのよ^^




さっぱりみんなで頂きました。


ごちそうさま~~☆








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今日はちょっとまじめな話を。。。





私は、「発想の転換」ということに重きをおいて、


むすめを育てています。


負のことでも、どうやってプラスに置き換えていくか、


常にその方法を示しながら、むすめに接しているということです。


たとえば


今回のぜんそく発作を


「あああ、最悪だ~。」


とは捉えない。


まずは、


「宿泊訓練中じゃなくてよかった。」


と捉える。


そして


「無理したから発作がきちゃったのかな。」


とは捉えず、


「そんなにがんばったんだなぁ~。」


と捉える。


こうやって全部プラスの言葉に置き換えることをするわけです。


こうすることで、むすめにとっては「負」でしかなかったことも、


少し形をかえて受け入れることが可能になるわけです。





これは日々繰り返し。


私は、むすめが生活の中で発する負の言葉(大でも小でも、とにかくなんでも)を、


最終的に全部プラスに置きかえるようにしています。


「最終的」というのは、


場合によっては、その負の気持ちに深く共感してからという段階を踏まなければいけないこともあるから。


やはりまだ子どもですから、いきなりプラスにもっていかれることに不快を感じることもあるでしょうし、


ついていけないこともあるでしょう。


また負の内容がヘビーな場合は、


いきなりプラスに持っていかれると、逆にこの人に話しても無駄だと思われ、


理解者がいないとも捉えられがちです。


そういう場合は、母親なりに見極めて、まずむすめの気持ちに深く共感や同調を示します。


辛いんだったら、辛いねと。


悲しいんだったら、悲しいねと。


そしてその負の想いを全て、相手が満足するまで聞いたうえで、


様子を見ながら、少しずつ、最終的にプラスに持っていくわけです。





私自身、この「発想の転換」ってものが、30歳前半までほぼできず、


非常に苦労しました。


マイナス思考どころか、全てにおいて最悪な状態に結びつけるのが得意中の得意だったわけです。


これは次々に不幸を呼びます。


そしていらぬ恨みや嫉妬を生みます。


正直、そこに幸はありません。


負はさらなる負を呼び、なにやら得体のしれないものがうずまくようにできているのです。




「プラス思考」や「鈍感力」というのは、


本来持っている素質というものがそこに大きく関係することなので、


向き不向きももちろんあるでしょう。


またある程度の年までいってしまうと、


そう簡単には方向転換できないかもですが、


人生、何かの経験がふってわいたときや、それに加えて環境や周りの人の影響があれば、


ある程度変えられるものではないかなとも思います。


私も、30すぎてから自分をプラス思考にかえるということは


大変大きな革命を自分の中で起こさなければならないということだったので、


とても大変でしたが、いろんな負のきっかけを思い切って受け入れ、消化し、


まわりの協力もあって、だいぶ改造ができてきました。


(この年ではやはり自分だけでは無理で、まわりの助けがかなり必要です。)




プラスに捉えるということは、つまり「負」を認め、受け入れることです。


「負」のない人生など誰にもありません。


ということは、つまり、プラス思考に生まれ変わるチャンスが誰にでもあるということです。


負に出迎えられたら、


それにふたをしないこと。避けないこと。


人に「負」を隠さないこと。


必ず起こるその「負」を、全て受けて立つわけです。


ある意味「開き直る」ということにも近いのかもしれません。




いい意味で開き直ることができた時、


ウソみたいに、プラスの世界がその先急に広がるものなのです。


そして今までの「負」に対してすら、すごく嫌ですが(苦笑)感謝する事態にまでなることでしょう。




また次に「負」がやってきたら、その繰り返し。


悲しいですが、人生には何度も「負」が訪れるので、こればかりは仕方ないのです。


でも、繰り返して、繰り返して、


人はその度強くなり、人生を謳歌して死んでいくのだと思います。







むすめに、よい人生を送ってもらために、


早いうちにこの発想の転換が上手にできるようになってほしい


というのが母親としての私の想いです。


今のうちから少しずつそういった思考を導く訓練をしておけば、それが癖になるのはもちろん、


むすめの土台になってくれると思います。


なんでもいいように捉える事が、全て正しいというわけではない状況にも


もちろんぶつかることもあるでしょうが、それも経験。


その経験がまたこやしとなり、さらなる土台作りに役立つと、私は思っているわけです。





もちろんこの育て方には賛否両論あって当然。


そうして育てることに向かない子どもや、好ましくないという人もいるいと思います。


うちのむすめは、たまたま元が単純なほうで、ベースがプラス思考的というのもあったため、


こういう育て方をしているということです。








子育ては何が正解なのか全くわからないので、


やってきたことを正解と信じていくしかありません。


特に兄弟姉妹がいない場合は、ワンチャンスです。


そう思うと、とても責任があることでもありますが、


何より私自身が子育てを楽しむことだと思っています。


毎日、むすめが何を見て笑い、何を見てものを想い、何を見て憂うのか、


母の目で観察するのが楽しいと思える生活。


それが一番だと思っています。




私の子育ての答えが○か×か出ることは、もしかしたら死ぬまでないのかもしれないけれど、


自分なりの芯を一本もっていれば、必ず何かにつながるものだと信じています。


まずは二十歳になったむすめが、どんな娘になっているのかが


私の大きな楽しみでもあり、ドキドキの瞬間でもあり・・・。


でもどんな娘になっていようと、何でも受けて立つ気持ちだけは満々なのです。


たとえ予測していない事態が、その頃娘を襲っていたとしても、


私の愛すべきむすめにはかわりありません。


だからただ真っすぐに、その時の娘の成長を喜べる自分になれるよう、


私自身もいろんな人生経験を積んで、強くたくましくなっておこうと思っています。





悩みながら子育てしているお母さんもたくさんいるかと思いますが、


どんな形であれ、子どもの幸せを願う気持ちが一本通っていれば、


それでいいんだと思います。




これからも、悩みつつも、子育てを楽しんでいきましょう。







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☆今日のJUNA夫さん弁当☆


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今日も気のない弁当(笑) のせるほどでもない弁当のような・・・(苦笑)

イベントのために練習したチャーシューが冷凍してあったので、

それを粗みじんにして、チャーハンにしてみました。


これ、けっこういけるのよ~♪

ハムのチャーハンとは違って、ちょうっと豪華な感じがするのよ(笑)








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